沿革
History
昭和32年、前身となる北陸電波学校が開校し、昭和37年に金沢工業高等専門学校が開校、昭和40年に金沢工業大学が開校。以来、北陸随一の工業系教育機関として、多くのエンジニアを輩出してきました。
平成30年4月、変化の激しい時代に対応し、常に柔軟に対応できるより進化した人材育成を行うため、校名を国際高等専門学校とし白山麓キャンパスを開設。金沢工業大学と連携した5+4のスクールシステムを構築し、新たなグローバル人材の育成に取り組みます。
昭和32年6月1日 | 北陸電波学校開校 |
---|---|
昭和33年4月1日 | 北陸電波専門学校開校 |
昭和34年4月1日 | 北陸電波高等学校開校 |
昭和37年4月1日 | 金沢工業高等専門学校開校・電気工学科設置(定員135名3学級) |
昭和38年4月1日 | 機械工学科増設(定員90名2学級) |
昭和39年9月28日 | 体育館完成 |
昭和40年4月1日 | 金沢工業大学開学 |
昭和44年1月16日 | 情報処理センター(現 情報処理サービスセンター)開設 |
昭和44年4月1日 | 教育工学研究所(現 情報処理サービスセンター)開設 |
昭和48年9月21日 | 扇が丘診療所開設 |
昭和52年5月19日 | 天池自然学苑開苑 |
昭和57年6月1日 | ライブラリーセンター開館 |
昭和63年4月1日 | 電気工学科1学級増 |
平成2年4月26日 | 第2体育館完成 |
平成3年4月1日 | 金沢市久安2丁目270番地にて新校舎完成 |
平成5年7月8日 | 夢考房開設 |
平成7年5月23日 | シンガポール理工学院と協力協定調印 |
平成7年7月12日 | セントマイケルズ大学と協力協定覚書調印 |
平成8年4月1日 | マルチメディア考房開設 |
平成9年4月1日 | 創造技術教育研究所開設 |
平成10年12月14日 | 池の平セミナーハウス開設 |
平成14年12月17日 | ニュージーランド国立オタゴポリテクニクと協力協定覚書調印 |
平成15年4月1日 | 電気工学科を電気情報工学科に名称変更(定員45名1学級) 国際コミュニケーション情報工学科増設(定員45名1学級) |
平成19年4月1日 | 地域連携教育センター開設 |
平成21年4月1日 | 電気情報工学科を電気電子工学科に名称変更(定員40名1学級) 機械工学科募集定員変更(定員40名1学級) 国際コミュニケーション情報工学科をグローバル情報工学科に名称変更(定員40名1学級) |
平成22年12月9日 | 世界的工学教育組織「CDIOイニシアチブ」に加盟 |
平成26年4月1日 | 金沢工業高等専門学校第七代校長にルイス・バークスデール就任 |
平成26年6月30日 | ホーチミン市工業大学と協力協定覚書調印 |
平成27年4月1日 | グローバル情報学科増設(定員40名1学級) グローバル情報工学科学生募集停止 |
平成27年11月18日 | マレーシア国立マラ工科大学と協力協定覚書調印 |
平成28年4月13日 | シンガポール工科大学と協力協定覚書調印 |
平成29年3月6日 | ムハマディア大学ジョグジャカルタ校と協力協定覚書調印 |
平成30年3月26日 | 白山麓キャンパス開設 |
平成30年4月1日 | 校名を国際高等専門学校に変更 国際理工学科増設(定員90名2学級) 電気電子工学科・機械工学科・グローバル情報学科学生募集停止 |
令和2年4月1日 | 国際理工学科募集定員変更(定員45名1学級) |
令和3年1月13日 | ホーチミン市工業大学及び越日工業大学と協力協定覚書調印 |
令和5年4月1日 | 国際高等専門学校第八代校長に鹿田正昭就任 国際理工学科募集定員変更(定員35名1学級) |